プロフィール
Wheelchair Traveler Miyo 車椅子の旅人
【名前】三代 達也(みよ たつや)/ Tatsuya Miyo
【生い立ち】
1988年11月30日茨城県日立市出身。電機メーカーで有名なHITACHI。
16歳:高校を退学。人生の目的も進む方向も見失い毎日バイトして遊びまわって、あとはひたすらバイクを走らせていた。
18歳:バイト帰りにバイク事故で頸椎を損傷し、四肢に麻痺が残り車椅子生活を余儀なくされる。
更に人生の道を見失い、自暴自棄になる。
2年ものリハビリの中で埼玉、静岡と転院する。
静岡の施設で人生の師匠となるべき人に出会い、挑戦すること行動することの大切さを学ぶ。
退院後は実家に戻る予定だったが、自分への挑戦の意味も込めて単身東京に移り住む。
20歳〜22歳:東京での生活は苦労の連続だったが、様々な出会いに恵まれ車椅子ツインバスケットボールチーム「BLAYS」に選手登録する。
さらにバスケのつながりから就職。
23歳:勤めていた会社の夏休みを利用して、初めて海外(ハワイ)に一人旅。
初めて味わう外国人たちとの生の会話や、日本以外のバリアフリー、異文化、最高にアツい出会いや経験のおかげで旅に目覚める。
もっと海外を見てみたい、暮らしてみたいという気持ちが湧き上がり、会社を退職。
↑深夜2時のカラカウア通り。ホームレスのおじさんと童謡「ふるさと」をセッション
24歳:念願の海外生活開始。
アメリカハリウッドに1ヶ月、オーストラリアに半年滞在。
海外暮らしの夢も叶い帰国後は横浜に移動し会社員生活をリスタート。
↑エアーズロックも実は車椅子で目の前まで行けるんです。
28歳:今までは自分で楽しむための旅をしていた、今度は誰かのための旅をしたいと思った。
今できることをできるうちに。そう思い立って世界一周を決意。
ギリシャ パルテノン神殿にて
ペルー マチュピチュにて
チリ イースター島にて
29歳〜:自分の旅の経験や生き方を発信し、旅を諦めていた人たちの一歩に繋がるため講演活動を始め様々な活動を行なっている。
バリアフリーマップWheeLog!での旅の経験を発信
株式会社エイチ・アイ・エス様主催講演の集合写真
ANA(全日本空輸株式会社)様にて講演の様子
松岡修造氏とテレビ共演
2019年7月光文社様より「No Rain, No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周」を執筆
2020年3月より旅話&日常生活を中心にお届けするYouTube「Miyo Channel」の運営を開始↓
https://www.youtube.com/channel/UCwKAtfs3eE39D1WfHo_ivcA?app=desktop
2020年〜トミー ヒルフィガー アダプティブ オフィシャルサポーターに就任
https://japan.tommy.com/tommy-adaptive/
HISユニバーサルツーリズム デスクのスペシャルサポーターとして旅行プランの監修や様々なイベントにも関わらせていただいております
全国の自治体でのユニバーサルツーリズム の視察
※写真は高知県でのラフティング体験
【障害】
頸椎損傷C6B2 不全麻痺
自走式車椅子を使用しております。
立つことができますが、歩いて生活をするのは現実的に不可能です。
両手指がほとんど動かなく、上腕三頭筋がないため車椅子を漕ぐ力があまり強くないです。
車椅子のタイヤについているハンドリムを握ることができないので、専用のグローブを使ってリムを前に押し込むようにして漕いでいます。
急な坂道などは、人がいれば助けてもらいます。
排尿は自尿可ですが、我慢が弱いので外出時はコンドーム型カテーテルを使用して集尿パックにつないでいます。
排便は5日に1回程度、レシカルという座薬を自助具に挿して促します。
【英語力】
中学英語をある程度復習して一通り把握できたレベル。
ただ会話は好きなので、簡単英会話でどんどん話しかけて友達を作ります。
【訪問した国】
北米:アメリカ(ハワイ、カリフォルニア、アリゾナ、フロリダ、ニューヨーク)/メキシコ
オセアニア:オーストラリア
アジア:シンガポール/タイ/ベトナム/インド/マレーシア/香港
南米:ブラジル/アルゼンチン/ペルー/ボリビア/チリ
ヨーロッパ:イギリス/フランス/イタリア/スイス/ドイツ/オーストリア/チェコ/ギリシャ/トルコ
中東:UAE
アフリカ:エジプト/ケニア/ジンバブエ/南アフリカ共和国
【活動実績】
こちらをご覧ください→活動実績
以上、どうぞよろしくお願い致します!
2021/01/05