インド

「ごめん、俺死んだ。」地獄のインド7Days 後編

こんにちは!Miyoです。

さて、地獄のインド旅行記後編です。

前編はこちらからご覧ください。

「ごめん、俺死んだ。」地獄のインド7Days 前編

 

 

早速始めます!

 

 

 

 

 

 

 

 

ここはバラナシ、カオスという言葉が最もふさわしい町

前編での14時間の列車移動が終わり、まずはホテルへ向かう。

駅にタクシーが見当たらなかったので、オートリクシャーというタイでいうトゥクトゥクのような乗り物に乗る。

トゥクトゥクもそうだけど、とにかく乗移りが大変だった

 

 

運転は荒い上に道もボコボコ。

乗り心地はすこぶる悪い、体制を整えるために必死で車体につかまっていたため肩と腕がパンパンになりながらホテルへ到着。

ホテルから眺める美しい街並み

 

 

そのままホテルのレストランでため息が出るほど美味しくないチャーハンを食べてガンジス川へ出発。

タクシーをチャーターしたが、来ないとの理由でまたしてもオートリクシャーで移動。

 

 

 

道は更にひどくなり、街の景色も変わってきた。

どうやらガンジス川の近くまで到着したようだ。

デリーでの”整った”環境が懐かしい。いや、整っていたのか?

 

 

ここではバイク、クルマ、リクシャーが狭い道路を縦横無尽に行き交っている。

その狭い空間にウシ、ブタ、イヌ、トリ、ヤギ、ヒトが混ざって誰がどうみても異空間だった。

その中でも牛はインドでは神聖な存在なため道路を我が物顔で歩く。

堂々と道の真ん中を歩く

 

 

 

当たり前のように突進してくるので車椅子ユーザーが思わず道を譲る貴重な瞬間

 

 

出会う人も結構パンチが効いてた。

顔面全体を謎にフルペイントしたガリガリのおじいちゃんがこちらに向かって歩いてきた。

彼の目はあさっての方を向いていて確実にイっちゃっている。

 

 

こりゃあ怪しさ満点だな〜とか思って見てたら、私の目の前1m位まで来た所で急に持っていたコップをその場に放り落として「アァアウァーーー」とか言いながらこちらに襲いかかって来た。

 

 

ゾンビ。

いや、ほんとだよ。普通に恐怖だよ。

走って逃げられない恐怖を改めて感じた。

 

 

すぐに周りのインド人が取り押さえてくれたけど、なんなんだこの国。

 

 

好きになる要素が一つもない。

 

 

装飾されたインドの車

 

 

 

 

ガンジス川で感じたインドのリアル

さて、いよいよ目的地であるガンジス川へ到着。

ガンジス川にはガートと呼ばれる階段があって、そこを降りて沐浴をする。

沐浴以外にも川の水で炊事洗濯なども行われており生活の一部になっていた。

 

 

ガンジス川で沐浴するとあらゆる罪が洗い流されるらしい

 

 

たくさんの人が訪れる神聖な場所。水は超汚い。

 

 

背中で語る、ウシ。

 

 

インド人ってカメラ向けるとしっかりキメ顔するイメージ

 

 

 

 

さて、先ほどの説明の通りガンジス川までは階段を登り降りしなければならない。

ありがたいことに人は周りにたくさんいるし、人手には困らなかった。

しかし、手伝ってくれた人たちからは衝撃の一言が。

 

 

「チップちょうだいよ」

 

 

カルチャーショックだった、助けてもらうことにまさか金銭が発生するなんて思わなかった。

しかし、ツアーガイドをしてくれたおじさんがその人たちにチップを払っていたのを見て、はっきりとした文化の違いをまざまざと見せつけられた。

全てのインド人がこうなのかと聞かれればもちろんそうではない。

ただ5人に1人が1日60円以下の暮らしを強いられているこの国の人たちの生活のリアルを肌で感じた一コマだった。

 

 

存分に川を眺めた後、オートリクシャーで帰るのだが途中すごく頭が痛くなって節々も痛くなってきた。

色々と無理したからだな、明日はゆっくり体を休めよう。

最初はそのくらいで安易に考えていた。

 

 

 

 

壊れ始めたボクノカラダ

ホテルに戻る途中マクドナルドで買ってもらったマックチキンをホテルで食べてすぐに眠りについた。

マックはインドでも安定してうまい。

 

 

翌朝はガンジス川の日の出ツアーに参加する予定だったが、私は体調が戻らずチェックアウトの時間までひたすら寝る。

 

 

だが体調はどんどん悪くなっていく。

今日はバラナシからまたデリーまでの移動日。

今度は列車ではなく飛行機なので一安心だが遅延のため長時間空港で缶詰。

 

 

やっとのおもいでデリーにたどり着いたが、外は大雨。

ボーディングブリッジがなかったので歩ける人たちは飛行機から素早くバスに乗り込み、私は外で専用のバスを待っていた。その間はひたすら雨に打たれていた。

12月、冬のインドの雨は身に染みた。

 

 

雨は冷たいけど濡れていたいの、想い出も涙も流すから。

若い人たちは知らないと思うけど、そんな歌詞を思い出した。

ただこの思い出はいろんな意味で流してはいけない。

 

 

インディゴ航空。乗降時はスロープを用意してくれた。

 

 

 

鬼のようなスピードでスロープを駆け上がる

 

 

 

 

記憶も曖昧な中、友人のMちゃんにタクシーを捕まえてもらってなんとかホテルへ。

シャワーを浴びてその日は倒れこむようにして寝た。

 

 

翌朝目が覚めるといよいよ体調は極悪に。

今まで経験したこともないほどの高熱。

私の障害名である脊髄損傷は汗をかく機能が麻痺していてあまり汗をかかないのだが、初めて滝のような汗が流れた。

 

 

よく熱が出るとぼーっとしてふらふらするなどというが、そんなレベルではなかった。

目の焦点は合わないし、見えてる景色は幻覚症状かとも思わせるほどグラグラ揺れていた。

そして一生止まることはないのであろうかというほど咳とくしゃみと痰が出た。

 

 

このとき、初めて死を覚悟した。

それほどキツかったのだ。

 

 

そして私はついに行動までもおかしくなり始めていた。

 

 

生と死の狭間をさまよいながら何を思ったかいきなりゴダイゴのガンダーラを聴き始めたのだ。

完全に末期である。

 

 

 

 

私はついに踏み込んではいけない世界に足を踏み入れた

このままではもうどうしようもない。

寝てても治らないのでまずは薬を探すことにした。

インドの病気にはインドの薬。

誰かが言っていたそんなことを思い出した。

 

 

Mちゃんに近くの薬局まで連れて行ってもらい、店主にGoogle翻訳で自分の症状を精一杯伝えた。

よくわからないけど抗生物質だったらいいのかなと思って。

 

 

Google翻訳で痰をヒンディー語に変換するのは後にも先にもこの一回だけだろう

 

 

そして私は店主に伝えた。

「頼む、とにかく一番強い薬をくれ」

 

 

すると店主は

「わかった、だがまずはこの薬を飲んで様子を見てくれ。それでも良くならなければコレを・・」

と彼はまず普通の風邪薬を手渡し、そしてその後、やや顔を曇らせながらStrongest(最強)だという薬をスッと袋の中に詰め込んだ。

 

 

早速普通の風邪薬を飲んだが、案の定全く良くならない。

そして、いよいよ最強だという薬に手を出した。

飲む前になんとなく興味本位でどんな薬なのだろうとGoogleで調べて見た。

すると衝撃の内容が。

 

 

この風邪薬は現在、世界の大多数の地域で使用が禁止されています。

 

 

さすがインド、全世界使用禁止レベルの薬まで取り揃えてらっしゃるなんて品揃えが豊富ですね。

でも薬局に置いてあるってことは、全世界って言ってもインドは許されているのかな。

そういうことだよね。

そうだと言ってよ。

 

 

もちろんまともな神経で考えれば使用を控えなければならない。

 

 

でも死を目前にした自分も背に腹はかえられぬ状況だ。

 

 

私はその薬を口に含み、ゆっくりと飲み込んだ。

 

 

 

 

そして数時間後、私は自分の体の変化に愕然とした。

 

 

 

 

次回に続く。

 

 

 

 

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