インド

「ごめん、俺死んだ。」地獄のインド7Days 完結編

こんにちは!Miyoです。

さて3回に渡ってお届けしておりますインド編最終章です。

見逃していた方は以下をご覧になってからどうぞ!!

 

 

前編はコチラ!

「ごめん、俺死んだ。」地獄のインド7Days 前編

 

 

後編はコチラ!

「ごめん、俺死んだ。」地獄のインド7Days 後編

 

 

 

 

 

 

 

 

薬は効かなかった

前回の続きですが、私は薬局で全世界使用禁止レベルの薬を購入し、意を決してそれを飲んだ。

そして数時間後私は驚愕したのである。

なぜか?

それは・・・

 

 

一切治らなかったからである。

 

 

全世界使用禁止レベルでも治らない俺の体どうなっちゃったの?

これはただの病気じゃないのか?

急に心配になった。

 

 

”車椅子で世界一周に挑戦した青年、インドで死す”

そんな新聞の見出しすら容易に想像できてしまうくらい精神状態は極限に参っていた。

 

 

 

 

救世主現る

原因も不明、インドの薬でも治らない。

動くこともままならなかったが、それでも食べなければさらに体力は失われていく。

お昼にMちゃんが一人で近くのジャパニーズレストランでお弁当を買って来てくれた。

 

 

う、うまい・・

本当に美味しかったのだが半分ほど残してまた眠りについた。

ジャパレスのマネージャーさん(日本人)がすごく良い人だったとMちゃんが言っていた。

 

 

私は夜まで眠ったが体調は相変わらず。

夜ご飯は同じジャパレスで今度はデリバリーでオーダー。

マネージャーさんが「ご友人の方、体調悪いならおかゆにしましょうね」

とたまごがゆと生姜の効いたつくね汁を作ってくれた。

そして届けてくれた際に解熱薬まで頂いた。

 

 

ほっこりたまごがゆと優しい味のスープ。

解熱薬を飲んでまた眠りについた。

この時が熱は最高潮でほとんど全裸で眠りについた。

 

 

数時間後目が覚めた。

ちょっと寒く感じた。

ん?熱が引いてる!!!

かなり体が楽だ。

 

 

マネージャーさんから頂いた解熱薬と優しい日本食のおかげもあってか熱は完全に引いた。

まさに救世主。

日本から遠く離れたこの地で、同じ日本人に救われる。

一気に日本が好きになった、単純なことなんだ。

 

 

 

 

なぜ?いつ?どこでこうなった?

さて、解熱薬のお陰で熱は引いたが相変わらず鼻水も頭痛も咳もネヴァーエンディングストーリー(若い人は知らない)なわけだ。

原因は何なんだ・・

 

 

私はこの旅を振り返った。

そして、ある恐ろしいことに気づいた。

 

 

二日目に蚊に刺されてるやないか・・

インドで蚊と言ったら真っ先にデング熱が思い浮かんだ。

そして速攻でデングの症状を調べた。

 

 

”感染3 ~7 日後、突然の発熱で始まり、頭痛特に眼窩痛・筋肉痛・関節痛を伴うことが多く、食欲不振、腹痛、便秘を伴うこともある。”

※国立感染症研究所HPより参照

 

 

自分と照らし合わせてみた。

蚊に刺されてからちょうど3日後に突然の発熱←当てはまる

眼窩痛←よくわからないけど目の奥?がとてつもなく痛かった

筋肉痛、関節痛←節々が痛いなんて次元じゃなかった

食欲不振←無理しないと口の中にモノを入れることを拒否するレベル

 

 

 

 

あ、俺デングじゃん。

 

 

 

 

インドの病院へ、そして旅の終わりを告げられる

デングの可能性をぬぐいきれず、病院へ行くことを決意。

Mちゃんが旅行保険を取り扱う会社で勤めていることもあって、診察までの手続きはとてつもなくスムーズだった。

 

 

ほどなくして保険会社と提携しているドライバーがやって来た。

すごく感じのいいおじさん。

病院でも待たされることなく、すぐに診察をしてくれた。

今回行った病院

 

 

そこそこ大きい

 

 

英語で必死に病状を伝える。

病気とかの単語って地味に難しい。

 

 

服を脱がされます・・

 

 

血圧測ったり脈とったり

 

 

背中も見せてね・・心臓の音聞くからね

 

 

うーむ・・・これは・・・!!!

 

 

「多分デングではないと思うよ〜」

 

 

なんともゆるいかんじ。

まぁインドの医者が言うのだから間違いはないだろう。

信じよう、信じないとやってられない。

数日待ってもらえれば血液検査もできるけどどうする?とも聞かれたが残念ながら次の日にはインドを出ないといけないためそれはできなかった。

 

 

医者からは帰国を勧められた。

「明日からエジプトなんだけど、、一人で。」

と行ったらキョトンとしていた。

 

 

まぁでも確かに体調はきつかった。

Mちゃんが付き添ってくれるのもインドでの間だけだし、この体調のまま正直エジプトひとり旅はあまりにもハードだ。

私は苦渋の決断を下した。

 

 

世界一周、体調不良のため緊急一時帰国。

 

 

正直悔しかったし、こんなところで帰るわけには・・とも思ったが最後に私が尊敬している旅人の大先輩から頂いたメッセージを見て帰国を決意。

「偉大な登山家の条件とは?それは無事に帰って来ること。そのために勇気ある撤退ができること。だと思う。」

 

 

この言葉に勇気をもらった。

確かにここで無理をする理由はない、エジプトは行きたかったが世界一周中でなくてもいける。

ただ無理をして、もしこのまま続けて万が一のことが起きれば他に行きたかった国にもいけなくなる。

 

 

かくして私は帰国することとなった。

 

 

 

 

最後に集合写真を撮られていた。

私が半分イっちゃっている表情で助けを求めている中、お医者さん(写真中央)は笑顔。

ついでに保険屋のドライバー(写真左)も超笑顔。

 

 

「なんかこっちの方が病院っぽい写真じゃない〜?」

とか二人で相談し始めて医者は聴診器首にかけて、保険屋ドライバーはキメ顔で書類とか持って医療従事者を装い始める。

呆れて途方にくれるMiyo。

 

 

あいあむいんいんでぃあ

 

 

でも二人とも本当に優しかった。

 

 

 

 

生きられたのはあなたのおかげ

さて、帰国が決まりこの地獄のインド旅を振り返る。

そして私はこの人に一生涯感謝することを誓った。

 

 

Mちゃんだ。

 

 

まだ出会って1〜2回だったのにも関わらずMちゃんはこの無謀なインド旅に付き合ってくれた。

危ないインドの街を一人歩き、ご飯を買いに行ってくれた。

自分の旅程などそっちのけで付きっきりで看病してくれた。

本当だったらもっと行けた所もあったろうし、アクティビティももっと楽しめただろう。

でも、それでも私の目標達成のためにあえてこの”不自由な”旅に付き合ってくれた彼女には一生頭が上がらないだろう。

 

 

Thank you from the bottom of my heart.

 

 

 

 

インド旅まとめ

正直キツかった。。

インドではカルチャーショックもだが、何より大気汚染や水や食べ物の衛生状態にかなり悩まされた。

もちろんバリアフリーも整っていないところが殆ど。

 

 

 

色々なものを見た。

何の選択肢も与えられず、親から旅行客に金をもらうことだけを教わった子供。

そんな5〜6歳の彼らは大人たちに頭を掴まれ思いっきり殴られていた。

そして当たり前のようにドブ水で歯を磨く笑顔の可愛い少女。

 

 

私は日本という国に生まれ、車椅子という不便はあるが何かをやろうと思えばなんでも選択できる国に生まれた。

難しいことは言えないけど、もっと毎日を有り難く過ごさなくては。

 

 

景色、音、空気、人間、文化が全く違う世界がこの世にはあって正解なんてどこにもない。

どんな人生を生きても一回こっきりだし、せっかくだったら色んな世界を見てから死にたい。

そしてたくさん吸収して自分らしい人生を生きたい。

 

 

私は今後も人生を賭けて伝えていきたい。

旅の素晴らしさを。

 

 

 

 

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